.

多動性障害かそれに類似する、あれのことをを何というか、病気というか、症状というか、そういう脳障害みたいな、さらにその症状に気付かれない環境で付随的にこしらえてしまう精神の綻びらしきものというか、漠然としたあまり良くはなさそうなそれ全体は、程度の差こそあれど、殆どの人に根付いているものだと思います。過剰なストレスなど、ある条件が満たされた時にさらけ出されるほころびを目の当たりにしてしまうと、ほころびに相対する者として、どう対処したらいいか混乱してわからなくなってしまいますし、そのほころびの回数や異常さが理解

タイトル部分が心情吐露を重ねているうちにとても長くなってしまいました。また、メインタイトルが途中で切れていて本文がない前回の日記「ご近所付き合いで、」につきましては、日記を書いていた矢先に緊急の用事が入ってしまい、急いでその場を離れた時に知らずに日記編集終了画面をクリックしてしまったようです。結果、あのような形でのエントリーとなってしまいました。申し訳ございません。削除するほどのことではないと思うので残しておきます。
宜しくお願い致します。
本日は日記を書こうと思っています。はてなユーザーになって半年近くたちますが、色々なことがわかってきました。そろそろはてな初心者という自意識から脱して、はてな中級者としての自覚をもってゆく所存です。
最近、はてな関係で一番知って役立ったと思うことは、プロフィール写真の掲載方法です。さっそく、プロフィール写真を元青学ボーイとしての知名度はいまいちであろう狂言師和泉元彌さんの顔写真にひとまず致しました。私、和泉元彌さん好きなんです。詳しく活動を追いかけるような好き方ではありませんが存在を無視できないんです。それって好きってことだと思います。船や港から海面をのぞきこんで、それが比較的綺麗な海であっても、波でブヨブヨうねる七色のギラギラが水面に浮かんでいるのをご覧になったことはありませんか。ただ原油というか油類が比重の都合で浮かんでいるだけのことなんでしょうが、ああいう一般的な意味の自然界からはミスマッチだが、だからこその強烈な存在感に似たものを和泉元彌さんから感じていて、確かに目映く光っていているが実態の掴めない捕らえ所のなさに惹かれるんです。ハマっているんです。あのギラギラは水面にただようコンビニの袋や吸い殻がはらむ安易な物語性とは一線を画します。今の時代は幸いなことにブログ時代ですので、特別な努力を介入させることもなく本人の情報にアクセスできます。ですので、月に一度程度は、本人の公式ブログである「元彌のアスナロぶろぐ」を閲覧しています。「元彌のアスナロぶろぐ」の見所を紹介致しますと、ブログのカテゴリーを複数用意しているのですが、そのカテゴリーの内の殆どで、そのカテゴリーに沿った記事を一本も書いていなかったり、書いていてもメインカテゴリーの「ブログ」の内容と代わり映えのしないエントリーを申し訳程度に一本書いただけで打ち止めしていることに尽きます。複数カテゴリーの作り逃げのようなことをしていまして、深読みさせてもらえれば、ブログのコンテンツがあってこそのカテゴリーが、カテゴリーのためのカテゴリーとしてしか存在しておらず、空虚なカテゴリーがひしめきあいが、ブログの存在を狂言めかしているんです。ここが見所だと思います。ブログ開設当初、色々と夢が広がって先にカテゴリーを複数作ったものの、反響の大きさや、きっと本人や事務所側のやる気のベクトルの問題で、カテゴリーを消去することもなく放置しているんだと思います。企画倒れの様相、羊頭狗肉の居直り、1と0の羅列だけで表現しつくせるとされるワールドワイドウェブな平板的等価な世界にあっても、和泉元彌アバンギャルドは埋没しそうにありません。この点が水面にたゆたう油膜のギラギラにそっくりで無視できないのです。その放置されてあるカテゴリーのひとつである「こらこらコラム」に私は特に注目しています。一向に「こらこらコラム」がエントリーされる気配は感じられませんが、いつかあそこで和泉元彌さんの怒りが炸裂することを期待しています。
話は戻りますが、ほか、はてなの各種説明を読んでいて、一番魅力的に思えたことは「はてなダイアリー市民」という存在です。はてなダイアリーにて一定数以上をコンスタントに日記を書くと、もれなく「はてなダイアリー市民」になれるということ。このシステムを知って、私のメモは、もっと気軽にメモしていいのだと背中を押してもらった気分になりました。もっとも市民になって何かしたいことはありません。市民という響きにぼんやり憧れています。市民という肩書きを得られたらインターネットに居場所が出来るでしょうし、カッコいいじゃないですか。グローバル化の喧噪のなかでインターネットという地下に潜って私という個を垂れ流すのは。
以上のことから、日記を書きます。
梅雨のうっとうしい季節ですが、雨の合間にのぞかせる青い空からは、太陽がアスファルトに向かって光を放っていて、アスファルトからの照り返しは夏の到来を私たちに予感させます。そのような歩くだけで汗がにじんでくる蒸し暑い平日の昼間のことでした。市街地のはずれを車を運転していましたら、車道のすこし真ん中を自転車で二人乗りしているカップルの背中が目に入りました。チャーミーグリーンという食器用洗剤のコマーシャルで描こうとしていた、絵に描いたようなカップルが私はとても好きです。ただし、チャーミーグリーンで描かれている絵に描いたカップルは劇団くさくてわざとらしいので嫌いです。あくまで、チャーミーグリーンが描こうとしていたカップルが好きだということです。また、これ見よがしに公共の場でイチャイチャするカップルも私は好きですが、絵に描いたようなカップルに対する好きさとは別です。絵に描いたようなカップルを見ると、ほのぼのとしてきてしあわせな気持ちになります。そして、私がその時にみたカップルの背中は、絵に描いたようなほのぼのカップルであると私に語りかけてきました。車の運転中だったので危ないことなのですが、ほのぼのとしたカップルの背中を見て少し幸せな気持ちになれた私は、もっと幸せになりたかったのでそのカップルを注視することにしました。そうして少し近づいてやっと気付いたことですが、そのカップルは二人とも、そのクロックスというメーカーの緑色の同じモデルのサンダルをつっかけているペアルックカップルでした。ペアルックに関しても、好き好きがわかれますが、私はこれについても基本的に見ていると幸せな気持ちになれるので好きです。私はこの足下のペアルックを見てからは、私は私を幸せにしてくれたほのぼのカップルのことを好きになっていました。だから、このペアルックカップルを追い越してご尊顔を是非見させてもらいたいと思い、車のアクセルを深く踏み込んだのは自然なことでした。もっと近づくとペアルックカップルは自転車を二人乗りしながら、お揃いで棒アイスを食べていることもわかりました。各自棒アイスを食べながらの自転車の二人乗りは危ないことでしが、暑い日だから急いでアイスを食べる気持ちもわかりますし、ほのぼのとさせながら、自転車を二人乗りして、ペアルックで、同じ棒アイスを食べるカップルを幸せの象徴として私は見ていましたので、気になりませんでした。その幸せの塊のようなカップルを車で追い抜いてから、車の速度を弱めて車の窓から後ろにいるそのカップルを確認すると、いままで気付かなかったのが不思議でしたが、二人とも棒アイスがよく似合う色白の小太りでした。二人は私に気付く様子はなく、ニコニコと話しながらひたすら幸せそうに自転車を二人乗りしていたのでした。その現場を一緒に目撃しないとどうせ誰にも伝わらない感情で、インターネットで書くことが無駄に思えて仕方がないことで書く必要も感じないのですが、ここまで書いてしまっているので最後まで書いていますが、ほのぼのとした幸せそうな二人を見て、私は全身の力が抜けるようなとても幸せな気持ちになりました。車の運転中だった私は、そのカップルばかり見ていては危ないので、もっとカップルを見て幸せになりたい思いに後ろ髪ひかれながら、視野をそのカップルから進行方向へと向け、目的地に向かって走ってゆきました。そのカップルとの邂逅は一瞬のことでしたが、二人乗り、ほのぼの感、ペアルック、棒アイス、小太り、仲睦まじい会話の様子など、何かと印象深いカップルでした。

そして以下は、会社をさぼってマクドナルドでお茶をすると、必ずと言っていいほど暇つぶしで紙ナプキンに落書きをよく行うのですが、この一瞬の幸せを思い出しながら書いた絵です。もしどなたかが見ていらっしゃるならお目汚し失礼いたします。
5回くらい書き直しました。

前述の文字群の中に埋もれていますが、はてなダイアリー市民へのあこがれがあって、無理矢理に日記を書いたということはウソではありませんが、せっかく書いたこの絵も、無下にするのも勿体なく、これも私のメモではありますから、会社のスキャナーでデジタル化したものをこちらに保存したく思い、絵を保存する言い訳のために無理矢理に日記を書いたというのが正しいような気がします。だからといって、私は実は絵に自信があって、自分の絵に客観的な評価が出来ず、例えば、この日記で挿入した上の絵が素晴らしく上出来な絵だと思っていたり勘違いかなんかして、誰かに見せて、うならせたいとか、そういう野心的なつもりや身の丈を知らない者ではありません。

以上です。自分の中では長文だったので、書いていて疲れました。空がしらけてきたので仮眠をとろうと思います。